こどのものプログラミング教育を考えるメディア

右脳派の言語と左脳派の言語

Kの話をしようと思う。   数年前、Webデザインの授業を担当していた時の話だ。   その授業は、Fire Worksというアプリを使い、デザイン制作するという内容からスタートしていた。 始業式から数週間経ったあくる日、いつものように授業を始めると、見慣れない生徒がいることに気がついた。   「はじめて会うよね?何やってるかわかる?」 と声をかけた。   …

Kの話をしようと思う。
 
数年前、Webデザインの授業を担当していた時の話だ。
 
その授業は、Fire Worksというアプリを使い、デザイン制作するという内容からスタートしていた。
始業式から数週間経ったあくる日、いつものように授業を始めると、見慣れない生徒がいることに気がついた。
 
「はじめて会うよね?何やってるかわかる?」
と声をかけた。
 
「友達に訊いて進めているので大丈夫です。」
と彼は答えた。
問題なさそうなので、前に戻ろうとした時、彼の手元が目に飛び込んできた。
トラックパッドを操る手さばきが、凄まじい速さなのだ。
鳥肌が立った。
一般的に考えるパソコン操作のそれではない。
まるでプロゲーマーのような手さばきなのだ。
気持ちが悪い。
正直、そう思ってしまった。
 
それがKとの初めての出会いである。
 
パソコン操作に疎く、マウスの扱い方もままならない学生が多い中、Kはトラックポイントとトラックパットを器用に使い、図形を描いていた。
 
「なんでそんなに上手にトラックポイントを使えるの?」
 
と尋ねると、
 
「自分でも同じ型のPCを持っていて、毎日それを使ってゴニョゴニョしてます。」
 
”ゴニョゴニョ”?
 
なるほど。こういう言葉の世界があるらしい。
 
その日以降、Kは授業を休むことなく、課題を着実にこなしていった。
ただ周りとは少し違う話し方、言葉遣いをする、という部分は変わらなかった。
 
次にKに会ったのは2年後、卒業式の日。
Kのクラスを担当したのは1年生の1年間だけ。そのため2年間会う機会がなかったのだ。
 
卒業式には、毎年終了制作の優秀賞が発表される。
Kを含む3年制チームの研究課題は「就活できーる」とういシステム開発。
在校生が自分に合った就職先を簡単に探すことができるという画期的なシステムだ。
「就活できーる」がその年の最優秀賞を取った。
チームの学生は(Kを除く)全員就職が決まっており、とても晴れやで、喜びに満ちた表情をしていた。
 
卒業式の後は、飲みに行くのが恒例行事。
その年もKを含む卒業生たちと数人の先生で、居酒屋に行った。
 
話題は今まで学んできた事や、進路のことが多かったが、何かの流れで私の仕事の話になった。
 
当時、任天堂DS「メダロット」というゲームのWebサイトを制作していた。その中に簡単なゲームをクリアすると特製の壁紙がもらえる仕組みを作っていた。
その話を聞いたKは、カバンからパソコンを取り出し、「メダロット」のWebサイトを見始めたのだ。
今ならなんでも無いことのようだが、当時はまだ公衆Wi-Fiなどあまり飛んでなく、しかもその場所は地下の居酒屋だった。
 
どのようにネットに接続しているのか不思議だった。
「なんでネット見られるの?」
 
聞くと、日本で発売されたばかりのiPhoneを”ゴニョゴニョ”して、スマホの電波をPCに接続しているという。
 
今で言う「テザリング」だ。
 
当時はテザリングなんて言葉は一般的ではなく、iPhoneを”ゴニョゴニョ”しないとできない時代。
 
毎日家に帰るとWi-Fiルータ、携帯、iPod等、充電しなければならないものばかりで、嫌気がさしていた。なので、Kのこの行動はとても興味深いものだった。
 
就職の決まっていないKを、このままアルバイト暮らしさせておくのはもったいない。
「一緒にデジタルアート作品を作らないか?」
と持ちかけた。
 
Kも自分だけ就職出来ず、カラオケでのアルバイト生活には納得できてないようだったので、その計画はすぐに動き出した。週3日間くらいのペースで、私の事務所に来ては作品を作った。
 
その頃、Processing という言語が注目され始めていた。それを使いさまざまな作品を試みた。Kはプログラミング技術は長けているが、新しい考え方が少し苦手のようだった。
そこは私がカバーしながら、二人でトライ&エラーを繰り返した。
 

Kと一緒に制作した、無数のオバマ大統領の演説の写真を使い、彩度を調整して元の写真を再現した作品
 
 
 
一番の大きな壁は、コミュニケーションだった。
美術出身(右脳派)の私と、プログラマー(左脳派)のKとでは、同じ日本語を話していても、うまく噛み合わない事が多かった。
 
「あれって出来たの?」
 
と尋ねると、
 
K「あれは、あーなって、こーなって…。」
できたかどうかよりも先に、細かな話を永遠としてくる。
 
私「で、できたの?」
K「できてません。」
 
このやり取りが、当初は苦痛であった。
 
プログラムを組みながら、
「あっ、また怒られた!」
「そんなに悪い子に育てた覚えはないんだけどなぁ~。」
Kはコンピューターと会話をしていた。
 
しかし時間が経つにつれて、KはKなりの話し方(情報の整理)をしている。
そう思うことができるようになった。
 
逆に自分はすごく曖昧な話し方(情報の整理)をしていることに気がついた。
相手の解釈に任せて、投げやりな言葉が多いのだ。

Kと作成したリンカーンの肖像を奴隷解放宣言文で画像化した作品
 
 
 
しばらく共同作業をしていくうちに、コミュニケーションも円滑になっていくのが実感できた。
 
Kの情報の整理の仕方がわかり、考え方が分かってくると、私もその仕組みが理解でき、成果物に責任が取れるようになる。
 
これで「一緒に仕事ができる」と思った。
 
当時、FLASHを使ったWebサイトが人気で、その案件も多かった。
Webアプリケーションのようなものを2人で制作していった。
 
一番苦戦したのは、脳外科の医者が扱う脳のアプリだ。
3Dのデータが扱えれば難しくはない仕組みだが、脳みそはシワが多く、3Dのデータは極めて重かった。仕方なく様々な角度の写真を組み合わせて回転させているように見せるアプリを作成した。
角度の辻褄が合わずKと私は3日間徹夜した事もあった。
それでもKは逃げなかった。
カラオケのバイトも休まず行き、そのまま事務所に戻ってきて作業をする。
 
今まで私が一緒に仕事をしてきたプログラマーは、自分ができないとわかると、逃げて連絡が取れなくてなってしまう人が多かった。
しかしKは違った。
 

Kと一緒に作った脳の診断用アプリ
 
 
 
Kは自分の責任を果たせるプログラマーである。
 
そう私が確信できるようになったあくる日のこと、
ある大きな組織のWebサイトの案件が舞い込んだ。
大量のデータを扱うサイトで、大規模なデータベースを扱うため、Kと二人では難しい。
更にバックエンドのプログラムはセキュリティなどの問題もあるため、Kに任せるには荷が重すぎる。
考えた結果、Kにはフロントエンドプログラムを担当してもらい、バックは別の会社に委託することにした。そのプロジェクトのためにKはアルバイトをやめ、制作に専念した。
 
半年後、無事制作が終了した。
 
あくる日、バックエンドをお願いしたプログラムの会社から、電話がきた。
「今回のフロントは誰がやったのですか?」
 
私は、Kは元教え子で、一緒にデジタルアート作品を作ったり、少しずつ仕事を一緒にしてきた旨を話した。
 
すると今度は
 
「彼をうちにください。」
 
と申し出てくれたのだ。
 
Kの就職決定の瞬間である。
 
私の会社はデザイン事務所である。
本格的にKのプログラミングの才能を開花させることは難しい。
学校で勉強してきてはいるが、実務の中でのプログラマーとしてはまだ未熟である。
しっかり実務の中で経験を積んでもらいたいと思い、私は快くその申し出を受け入れた。
 
これは私にとってプログラム脳とクリエイティブ脳の違いを知るきっかけになった出来事である。
Kが晴れて正式なプログラマーとして活躍できる場を掴んだこの出来事は、これからの教育のあり方を考えさせられる貴重な体験となった。プログラマーはプログラマーじゃなくても育てる事ができる。
 
今私は、小学生から様々なものづくりを経験できる教室「世田谷ハツメイカー研究所」https://www.hatsumaker.comを開校した。
 
様々な視点や考え方を持った者が、一緒にものづくりができる環境がこれからの時代必要であると感じている。
自分に必要なものは自分で作る時代。
しかし自分ひとりでは、できない事もある。
 
デジタルやアナログの素材を使って、「自分はこんなものがつくりたい」と思った時、または友達のアイデアを形にすることを手伝ってあげられた時、その子たちは学ぶことの楽しさを知ることができるだろう。