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2017.4.17
2017.4.17

プログラミングを始めるまで、「勉強なんて意味ない」と思っていた

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大学生の頃、もうそれはそれはビックリするくらいに勉強しませんでした。
私も、周りの友人も、皆がそうでした。
多くの学生の関心ごとは、「如何に楽をして単位を取るか」。
講義登録の時期には、「生物Eって講義は、出席も取らないし、レポートもゆるいからオススメー」 といった怠惰な先人の知恵に、学生たちは群がりました。(私もです。両親ごめんなさい)
期末試験の直前には、真面目に講義に出席していた貴重な友人と、先人から受け継いだ過去問に、学生たちは群がりました。(私もです。両親ごめんなさい)
私を含めた大半の学生にとっての「学習」は、「テストで点数を取るための作業」とほぼ同義でした。

向学心のある学生の存在を知る

それでも、「大学生は遊ぶのが仕事だから」という訳の分からない論理で自分を正当化し、
怠惰なキャンパスライフを謳歌していたある時、シンガポールの大学生たちと直接話をする機会がありました。
会ってみると、彼らは日本語で話してきます。
粋なジョークを飛ばしてきたりもします。
話を聞くと、日本語は専攻ではなく、半年前から教養科目の一つとして受講しているだけ、とのことでした。
シンガポールはかなりの学歴社会で、彼らは過酷な受験戦争を経験しています。
そんな彼らは口を揃えて、「もっと日本語を学びたい。日本についても知りたい」と言いました。
嫌になるほど勉強してきたというのに、向学心で溢れていました。
大学生は遊ぶのが仕事だから」派の私は、とても驚きました。
こいつらは大学生なのに、学習をしている・・・。いや、それどころか、学習したいとすら言っている。こんな生き物もいるのか・・・
たった半年間の学習でネイティブと会話を楽しむ彼らは、学びたいから学んでいる。
半年前も今も何の進歩もなく過去問に群がるだけの私は、テストがあるから詰め込んでいる。

学習に対する向き合い方が、根本的に違っていました。

プログラミングで、学ぶことの楽しさに気づく

そこで刺激を受けたはずの私でしたが、またすぐに元の怠惰な生活に戻ってしまいました。
しかし、それから数年後、学ぶことに対する向き合い方が大きく変わりました。
アプリ開発をするようになってのことです。

1. 作りたいアプリがあるが、作り方が分からない。
2. 作り方を調べる。
3. 調べて得た情報を頼りに、なんとか作れるようになる。(嬉しい)
4. 誰かが「面白い」とか「もっとこうしたらいい」とか、作ったアプリに対して反応してくれる。(嬉しい)

ということをひたすら繰り返しました。
学習したことが直接的に、しかもすぐに役に立ちました。
それを言葉として認識していたかは別として、学ぶことが楽しくなっていたように思います。
学ぶのが楽しい」などと言葉にすると、なんだか胡散臭くなってしまいます。
実際、過去に「学ぶことは楽しいことだよ」などと誰かから言われたことがありましたが、少しも心に響きませんでした。
自分の体験を通じて学ぶということの意義を実感できたから、ようやく納得できるようになったのかもしれません。

学校の勉強と何が違ったのか

学校の試験勉強を通じて、「勉強なんてつまらないし、意味がない」と思うようになりました。
アプリ開発を通じて、「学ぶことは楽しいし、重要なことだ」と考えるようになりました。
何が違いだったのでしょうか。

一番大きいのは、前述の例の「作りたいアプリがあるが、作り方が分からない」という部分だと思います。
何かを学ぶ理由が自分から生まれていて、それを学ぶことによって何ができるようになるのか、明確にイメージできます。
だから、「こんなことやっても意味ない」とはなりません。
学校の試験勉強は、「何の役に立つか分からないけど、テストで点を取るために微分積分の公式を暗記する」というものでした。
数学を多少面白いと感じることはあっても、決して試験範囲を超えた勉強はしませんでした。
必要なのは微分積分の公式ではなく、テストで高得点を取ることだったからです。
私のようにプログラミングを通じて、学ぶことの意義を感じるような人は他にいると思いますが(アプリ甲子園の出場者たちはまさにそんな印象でした)、
当然これはプログラミングに限った話ではありません。
野球でも、ピアノでも、盆栽を育てることでも、何でも良いんだと思います。
それが自発的なものであれば、数学だって歴史だって「学びたいことがある」状態になるはずです。
ただ、プログラミングが「学ぶ姿勢」に影響を与えそうなことは存在すると思うので、いくつか書いてみます。

プログラミングが「学ぶ姿勢」に影響を与えそうなこと

1. 社会に作品を発信できる
スマホアプリなど、自分の作品を公開すると、(程度の差はあれど)反響が得られます。
自分が作ったものが誰かの役に立ったり、面白いと思ってもらえたという実感がすごく分かりやすく得られます。
新しい技術を習得することで、もっと誰かの役に立てるようになると理解できます。
これはすごく純粋で美しい学習の動機になりそうです。
2. 正解のない営みが経験できる
学校の試験では、問題はテスト用紙に記載されていて、正解が存在します。
プログラミングでは、取り組む問題(何を作るか、見た目はどうするか、など)も自分で決められますし、誰かの用意した正解は存在しません。
私たちが現実に直面する問題のほとんどは、テスト用紙に記載されている類のものではないので、
現実に役立つ考え方ができるようになるかもしれません。
3. プログラミング以外の技術の重要性に気づく
アプリ開発をすると、プログラミング以外の能力が必要なことに気付きます。

• もっと見た目的にカッコよくて分かりやすくしたい
• アプリの魅力を一瞬で伝えるキャッチコピーとか欲しい
• そもそも人々はどんなアプリを求めているのか分からない

そして、「プログラミングもいいけど、デザインをちゃんと学んでみたいなあ」などと思うかもしれません。
何かを学ぶ動機が自然に生まれます。

今後、プログラミング教育はどんどん普及していきます。
それが教育であるのならば、単にプログラミング技術だけを教えるような表面的なものではなく、
何かを学ぶことの面白さとか、正解に縛られない考え方といった、もっともっと人間の根底にあるものを育てるようになればいいなと思います。

戸田大介