コラム
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2017.6.22
2017.6.22

自分が何者かは分からないが、自分の作品がどんなものかは分かる

「あなたは、どういう人間ですか?」

こういった質問をされた時、私はとりあえず何か答えらしきものを口にしてしまいます。
そして、すぐに「あ、やっぱ違ったかも」と思ってしまいます。
別に嘘をつきたいわけじゃないのですが、「あなたは、どういう人間ですか?」などと聞かれると、「みんな当然、自分がどういう人間か理解している」ような気がしてしまい、それらしき答えを絞り出してしまうのです。
でもおそらく、私は自分のことをよく分かっていません。
自分は何者かなんて、そんな哲学みたいなことはどうでもいい」と言い切ってしまえればいいのですが、自分が分からないと困ることがあります。
困ることがあるのは、私だけではないと思います。

自分が何者か分からなくて、困る

就活で困る
私は就活をしていた時に「私は楽観的な人間です」などと言っていましたが、本当は救い難いほどに悲観的な部分もあります。
だから、言っていることに矛盾を抱えていました。
僕は破天荒な男です!」と燃えるような勢いで豪語した10分後に、面接官に「きみには熱意があるけど、決して破天荒ではないよね」と言われて、急に湿気ったマッチ棒みたいな顔になった方もいました。
就活生たちは、悩みます。
世の中には色んな会社や仕事があるけど、自分に合うのはどれか分からない。自分が何をしたいのか、よく分からない
やりたいことなんかない。そんなに好きなこともない。自分らしさなんて呼べるものもない

仕事で困る
就職活動が終わっても、自分について考えることは続きます。
同世代の友人と飲みに行くと、たまに訪れる真面目な雰囲気の時に、こんな話になったりします。
私、何がやりたいんだろう? なんか器用貧乏というか、中途半端というか・・・
『やりたいことは何?』って聞かれた時に、会社が望む模範解答はできたりするじゃん。
でも、それって、絶対本心じゃないよね。なんというか、それ、俺じゃないよね

いや、もちろん分かるんだよ。好きなことを仕事にするって簡単なことじゃないんだろうなって。
でもせめて、自分が何が好きか分かったら、そういう方向に進んでいける気はするんだよ。
その方が絶対、自分にとっても周りにとっても良いと思うんだよな

みんな、悩んでいるようです。

作品を通じて自分を知る

自分を知るということはなかなか難しいことのようです。
どうすれば自分が分かるのでしょうか。
私の場合、自己理解を深めてくれた一つの考え方がありました。
作品を通じて自分を知る」というものです。
プログラミング教育と、作品を作るということは関連していると思うので、この考えを紹介してみます。
もしかしたら、子どもが将来やりたいことをやる、ということに少し関係するかもしれません。
(ここではプログラミングの例を交えて書きますが、絵でも、曲でも、小説でも、園芸でも、その人が作るものなら何でも良いと思います)
作品を通じて自分を知る」には色んな側面があると思うので、それぞれ書いてみます。

「作りたいもの」を通じて自分を知る

先日、プログラミング教室へ見学に行ってみました。
そこでは固定的なカリキュラムはなく、プログラミングに関わるものがたくさん置いてあって、子どもの興味に合わせてやりたいことを先生がたまにサポートしながら伸ばしていくという進め方でした。
こういう

いかにもプログラミング!」というものに興味を持つ子もいれば、
こういう

見た目で分かりやすいものに興味を持つ子もいました。
誰から言われる訳でもなく、子どもは自分が好きなものを選んでいました。
おそらく最初はなんとなく手に取っただけでしょうが、手に取って触れてみて、「ああ、これは面白いな」とか「これはつまらん」などと感じて、そのうち自分が好きなものを選んでいくようになるんだと思います。
実際、私が遊びに行ったプログラミング教室では、子ども自身が「僕はこういうのが好きなんだよね」と自覚していましたし、
それを見ていた先生も、「彼は視覚的なものやデザインみたいなことに興味があるんです」と、子どもの興味を認識していました。
そこでは、子ども自身が何かを作っていく過程で自分を理解していくと同時に、
作ったものを通じて子どもの周りの人(親など)も、その子に対する理解を深めているように見えました。
例え周りの人がプログラミングのことは分からなくとも、子どもが作った何かを見ることは、
なんか難しそうな機械が好きなんだな」とか「この子は芸術家肌だな」などと思うきっかけになるかもしれません。
子どもの興味が具体的な形に分かりやすく表れていて、面白いことだと思いました。

「作品に表れた考え方」を通じて自分を知る

これは、私が作っているアプリです。

シンプルで洗練されたデザイン」と言われたり、「機能が少なすぎて存在意義のない、iPhone の容量無駄使いゴミソフト」と言われたりします。
この賛否両論なデザインに至った裏には、ミニマリズム(最小限主義)という考えがあります。
物や情報の量が少なければ少ないほど、心や生活は豊かになる」という考えです。
私は批判を受けてもこのデザインが良いと思っていて、ミニマリズムの考えを強く持っているのだと感じました。
ミニマリズムのような分かりやすい名前がなくても、何かを作ったら、

「とにかく面白ければそれでいい」
「金さえあればいい」
「人と違った存在でありたい」

といった考えが、目に見える形として浮かび上がってくると思います。
人は目に見えないものより、目に見えたものの方が理解しやすいので、
作品に表れた考え方」を通じて自分を知ることができる人は多いのかもしれません。

「作る姿勢」を通じて自分を知る

アプリ開発が趣味の高校生が、嬉々として語っていたことがありました。
僕のアプリは進化したんです。今動いているこのアプリは、前のコードを一行も使っていません
彼が言っていたのは、「アプリの裏側で動いている、誰にも見られることのないプログラムを、美しく書き直した」ということでした。
プログラミング愛が滲み出ているように見えました。
(それを聞いていた人の一人が「何が変わったんですか?」と尋ねて、彼は急に湿気ったマッチ棒みたいな顔になっていましたが)

きっとそのこだわりも、彼を映しているのだと思います。
目に見える、分かりやすいものだけが全てじゃないんだぞ
もっともっとずっと深くに、本当に面白くて綺麗なものがあるんだぞ
という思いが彼の心のどこかにあって、それが目に見える行動として現れたのが
誰にも見られることのないプログラムを美しく書き直す」ことだったのではないでしょうか。
目に見えて分かる変化がなくても、そこに「進化」を見出した彼のアプリに、
言葉にできなかった彼の人間性のようなものが表れていたのかもしれません。
もっともっとずっと深くに、本当に面白くて綺麗なものがあるんだぞ
胸が熱くなるものがありますね。

自分を知る」というのは、「英語が話せるようになる」などのように、すぐに役立つ分かりやすいことではありません。
だから実感しづらいし、もしかしたら軽視されていることなのかもしれません。
でも、上手く説明できませんが、人間にとって、何かものすごく重要で本質的なことである気がします。
(気のせいだったらすみません)

Illustration : Jung Bin Cho

戸田大介