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2017.9.8
2017.9.8

プログラミングから得た、英語と金子さんと世界についての学び

プログラミング教育って、結局子どもの将来にどう影響するんだろう

これは、こういう親御さんに向けた記事です。
「プログラミング教育は、子どもを論理的で創造的にする」といった一般的な話の記事は既にたくさんあるので、この記事では「一人の人間が、プログラミングからこういうことを学びました」という話を具体的に書いてみます。
少しでもプログラミング教育について考える参考になればと思います。

学び1. 「英語の方が情報量が多い」というのは本当だった。

「英語の方が圧倒的に情報量が多いんだぞ。日本語を使う人なんて、世界的にみたらほんの少ししかいないんだから」
子どもの頃、学校の先生か誰かが、こんなことを言っていました。
私は全く納得できませんでした。
当時の私にとって、「英語でしか手に入らない、必要な情報」なんて一つもなかったからだと思います。
それから月日が流れ、私はプログラミングをするようになりました。
そして、毎日「なんかよく分からないけど、思い通りに動かない」という問題に直面しました。
どうにか問題を解決しようと、Google 検索で解決策を探します。

そこで、私は何度も思いました。
「う・・・。英語の記事しか役立ちそうなやつないじゃん・・・」
しぶしぶ英語の記事をのろのろと読む度、私は「英語でしか手に入らない、必要な情報」の存在を痛感しました。

学び2. 金子みすゞさんの主張も本当だった。

「鈴と小鳥とそれからわたし みんな違ってみんないい」
小学校の頃に暗唱させられたこの言葉は、納得するとかしないとかではなく、言葉の意味すら考えていませんでした。
(おそらく)口をパクパクさせて水槽を漂う金魚みたいな顔で、(確実に)何も考えないでただただ暗記した文を口にしていました。
そんな私もやがてアプリ開発を始め、ある日、良いアプリを作るにはプログラミング以外の力も必要だと気付きました。
少しずつアプリ開発というものを理解していくに連れて、プログラミングが解決できることと、他の力が必要なことがよりはっきりと区別できるようになりました。
そして、プログラミングが得意な人と、デザインが得意な人がいたら、力を合わせた方がいいアプリができるという当然の事実を理解しました。

それまでは金子みすゞさんには大変申し訳ない話ですが、「みんな違ってみんないい」と言われても、口をパクパクさせて水槽を漂う金魚みたいな顔で「ふーん。まあ分かるけど、それで?」などと返していました。
自分の体験を通じて、私はようやく言葉の意味が少し理解できた気がします。
(↓ これは私が初めて作ったアプリです。どんなに前向きに言っても「あ、でも、ほら・・・手作り感があって、温かいよね」くらいのレベルですね)

学び3. なんか、すごい世界が存在するらしい。

私は、ボランティアというものが嘘くさく感じて仕方ありませんでした。
「お金なんかなくても、人に喜んでもらうのって嬉しいよね」
みたいなことを言う人は、一人残らず偽善者だと思っていました。
でも、色んなことがあって(偽善の研究など)、嘘くさくない人たちもいるということを知りました。
そんな人たちが作った文化が、プログラミングの世界にありました。
すっごく乱暴に言うと、「お金はもらえないのに、世界中のみんなで協力して、いいプログラムを作る」というものです。
誰でも自由に参加できる場所があって、「この方が良くない?」とみんなが言い合えるので、どんどん良いものができていきます。
その文化の中では、その技術をお金儲けに使おうと思ったらいくらでもお金持ちになれるような天才的なプログラマーの方がたくさん活動しています。
その活動の動機は、「より良いものが作りたい」とか「作ることそのものが楽しい」といった純粋なものであることが多いです。(もちろん、別の動機の方もいますが)

Wikipedia の記事を書いてもお金はもらえないけど、それでも多くの人が正しい知識を共有するために書いているようなことですね。
世界最高の百科事典は莫大な資金を持った大企業の力ではなく、見返りを求めない人たちの知恵で作られているという事実には、胸が熱くなるものがあります。
決して「金儲けは悪だ」みたいな話ではありませんが、お金以外のもので動く世界を知ることができて、単純に世界が広がりました。

学び4, 5, 6, … たくさん

たくさんありすぎて書けないので割愛。

身も蓋もない話

「プログラミング教育って、結局子どもの将来にどう影響するの」と聞かれて、それっぽい答えを並べることはできます。
論理的思考ができるようになるとか、創造性が育まれるとか、プログラミングの技術で仕事が得られるようになるとか。
それはきっとその通りなのでしょうが、だから「プログラミング教育をしよう」という話になるというのは、少し疑問です。
論理的思考は数学でだって鍛えられるし、創造性は音楽でだって育まれるし、プログラミング以外でも仕事は得られます。
私はたまたまプログラミングを好きになったので、プログラミングの世界から多くを学びましたが、プログラミング以外を好きになっていたら、それはそれで別の多くを学んでいたはずです。
親が「子どもの将来のために、より良い選択を」と考える気持ちは(たぶん、少し、想像の範囲で)分かりますが、「子どもの将来のため」を考えるからこそ、「何が得られる」とか「将来にどう影響する」とかではなく、「何かを好きになる」ということが大切なんじゃないかと思います。

将来安定した仕事を得るために書いたプログラム。
立派な大人になるために書いたプログラム。
どうしようもなく好きだから書いたプログラム。
どれが美しいかくらいは、プログラミングの世界に片足を突っ込んだだけの私にも分かります。

Illustration : Jung Bin Cho

戸田大介