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2017.3.1
2017.3.1

人工知能に負けない子供へのプログラミング教育?

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拙宅山本家は7歳5歳3歳の三兄弟がおり、さて、どう教育したら良いものか目下凄く悩んでいる最中です。そんな悩みを連載の冒頭にするのもなんですが、聞いてください。

人工知能(AI)

将来は人工知能に置き換わる仕事がある」と喧伝されるようになって二年ぐらい経過したでしょうか。そのぐらい、人工知能(AI)が産業にもたらす影響が大きいことが分かってきたことの証左でありましょう。
確かに仕事をしていて、人工知能によって凄い勢いで置き換わっていく職種があるのを感じます。特に証券投資をしていれば身近に感じることが多くあります。それは、トレーダーという仕事です。先日、アメリカの投資銀行大手ゴールドマン・サックスが、いままで高給で雇用していたトレーダー600名を2名にした、その肩代わりをしているのは人工知能だということで、日本でも少し話題になりました。
人工知能だけで構成されたヘッジファンドや、ファンドマネージャーのいない機械だけで構成された金融商品と言ったものも続々と出てきているのが実情です。

人工知能による自動化が進むゴールドマン・サックス、人間のトレーダーは600人から2人へ – GIGAZINE http://gigazine.net/news/20170208-goldman-sachs-automation/

実は、人工知能の時代が開かれる前から、トレーディングの世界では人間からプログラムへという動きが続いてきた職種でもあります。人工知能だ深層学習だというタームで彩られるまでは、ずっとアルゴリズムトレードと言われてきました。言うなれば、市場の環境ごとに条件別で自動に売買する仕組みのことです。典型的なのはロスカット、つまり一定の損害が出たときに自動的に損切りをするトレードを行う、というようなアルゴリズムの世界が、人工知能によって、より多層的に、より実証的なアプローチになったよ、ということです。

この流れは「人間は往々にして間違う」とか、そういう情緒的な話ではないのがまたミソであります。だいたい大きく分けて「同じような相場では同じ投資判断が繰り返され得る」「常に速いスピードで判断すれば投資成果を得られ得る」といった、抽象化されたモデルによって構成されています。
例えば、東芝が大きな欠損を出したと発表するとき、同じような製造業の株式はいま売りか買いかという判断をするにはどうなるでしょうか。人間は、材料を見たときに相場がどう動くのか、過去の経験や読みで判断するわけですが、人工知能はそれこそ1900年代1910年代ごろからの古い取引データも加味して、重要な材料が相場を構成する投資家にどう受け止められたのか瞬時に判断して買いか売りかを決めてトレードします。人間の投資の常識には左右されない人工知能によるトレードで成果を挙げているからこそ、大手証券会社は実績のある高給トレーダーを人工知能にすべて置き換えても問題なく事業ができていることになります。
また、相場は24時間、世界中の市場で動いています。ありとあらゆる証券や商品、為替の情報を把握し、適切に投資判断をできる人間が仮にいたとしても、認識してから投資判断するまでに時間が数十秒から数分近くかかることになります。しかし、人工知能は容赦しません。市場や証券情報の提供会社から光回線を引き、値動きや材料が出次第、コンマ秒で投資判断して最適な解を出そうとします。そういう芸当を人間がするのは所詮無理なのであって、人工知能の技術革新が進めば進むほど、人間のやってきたことが自動化されて職場がなくなっていきます。
同じことは、自動運転が普及すればタクシードライバーが要らなくなるであるとか、簡単な法律相談であれば弁護士や司法書士は不要になるとか、病院に外来でいってもいちいち医師でなくとも問診や簡単な処方ぐらいまでは人工知能でできるようになるであろうといった話がたくさん出ます。そこだけ切り取ってみると、これからの人間社会というのはすべて機械によって取って代わられるディストピアのように感じます。

でも、私たちの生きてきた時代というのは、常に労働力を何か別の工夫に置き換えて、物事を便利にしていく働きの連続でした。私の子供のころは電車に乗るにも切符を買って、駅員の改札鋏に切ってもらい、行列を作って捌いてもらうのを待っていました。それが自動改札になり、改札から駅員と行列の姿が消えて、いまやちょっと改札通るのにミスるだけで後ろの人から舌打ちされるような時代になったわけです。労働力はどこに消えたのでしょうか。

昔は、工場を誘致すると言えば数千人、数万人の工員と、その工員の家族が集まってくるという一大産業、下手すると街そのものがその産業の城下町になるぐらいの勢いで経済が成り立ってきました。工員のためのサービスもその家族の生活も飲み込んで、ひとつの企業が町の経済や雇用だけでなく命運までもを握る時代が確かにあったのです。しかしながら、いまや工場は雇用の場ではなく、機械の場になりました。工作機械の進歩は工場から人を減らし、結果として最新鋭の液晶工場が雇う工員は10名とかいうレベルです。
経営危機になって杜氏さんが雇えなくなったので自動化したらおいしくなって売れた酒造メーカーも、伝統の技と工夫で日本経済のコメとまで言われながら自動化が進んで熟練工を必要としなくなった製鉄所も、これから職を奪うと怖れられる人工知能の有り様とカラクリは同じです。世の中は、常に便利な方へ、効率の良い方へ、人手のかからない方へ、新しい方へと流れていくのです。電気がふんだんに使えるうちは。
翻って、拙宅山本家の子供たちは7歳5歳3歳の男の子三兄弟でありまして、毎日騒いだり喧嘩したりモノを投げ合ったり床を汚したりして、基本的にろくなことをしないで暮らしています。困ったものです。

子供への教育

これからの社会を担っていってほしい子供たちに対して、どんな教育をすればよいのか悩むのが親の立場です。ただ、実際に子供と接しながら、また仕事でそれなりに先端のサービスの状況を見ていて驚かされるのは、未来を拓いていっている人たちはかなりはっきりと「やりたいこと」を意識して仕事をしていることです。儲かるから、仕事だからという職業人としての側面だけでなく、取り組んでいることが好きだから、興味があるから、夢中だから次の時代の扉のノブに手がかかるのではないかと思えるほどに、のめり込んでいる人たちが築き上げていくのがこれからの社会なのではないかとさえ感じます。
そういう先人たちも意識しながら子供を見ていると、むしろこちらが勉強させられる気分になります。長男が「うおおおおお」と雄叫びを上げながら宇宙の星々や人工衛星のスケッチを熱心に描き上げていたり、次男が独り言を言いながら宇宙の図鑑をひたすら繰り返し読んでいたり、三男が探査機「はやぶさ」の写真を見ながら黙々とブロックを組み立てているのを見るたびに、本人たちの好きをまず固め、極めていく中で、いろんな学びがあるのではないかと思います。

もちろん、答えなどいまの段階で分かるはずもなく、いろんなご家庭の教育の仕方はあるのでしょう。ただ、他のご家庭を横で見ていて、特に子供が何かに取り組もうという気持ちも定まっていないのにプログラミング教室に行かせているのを見たり、将来どうせ必要になるからとりあえず英語学ばせているという話を聞いたりすると、どちらのほうが子供にとって良いのだろうかと私も深く悩むことになります。
人工知能に取って代わられないような人材になり、社会を拓き豊かにしていく人生を歩んでほしいと願ったとき、私なら、人工知能を組み上げる側になりなさいと息子たちには言い聞かせると思います。ただ、人工知能は道具である以上、その道具を使って何を実現したいのかは、その道について熱心であり、好きで没頭していなければ、それこそ人工知能で置き換えの効く技術者で終わってしまうのではないか、と怖れるのです。

禅問答のようですが、やりたいことをしっかり持った人間に育ってね、という方針でいこうか、それともまずはスキル身につけなさいと言うべきか、まだまだ悩んでいます。困ったものです。

山本一郎